霊大杉

11月 19, 2010 · Posted in 日々雑記 · コメントは受け付けていません。 

子供の頃、本屋で心霊写真本なんかを立ち読みしていたが、表紙カラーから10ページ目ぐらいまではデッカい顔とか髪の長い女性が写真の半分ぐらい写っていてドキドキしたが、残りのモノクロページはほとんど背景の隅にボンヤリと木の葉やタバコの煙のような白っぽいものがあるだけであった。

それにわざわざ丸をつけて注釈で「この地では昔、大規模な合戦があり・・・」などと書かれていてガッカリしたのを覚えている。
そのビジュアル的な弱さもさることながら「・・・何年、成仏してへんねん!」とも思もた。

50年生きてたとしても、霊生活500年て。インターバル長がっ。

そんな心霊写真のお話。

写真のハレーションを抑えるためにサイトを調べていたら、「オーブ現象」を知った。
オーブ現象とは写真に丸い玉が写るアレで、水辺や、夜露、湿度の高い室内などで空気中の水分や埃塵にフラッシュの光が反射してしまう人為的ミスのことである。
オーブを調べているうちに、とうとう心霊写真のサイトに辿り着いてしまった。

このサイトは、どこかの偉い霊能師の先生が、送られてきた心霊写真を一件5,000円で診断しますよ、と謳っている。
ご丁寧にもいくつかの写真を例にあげて、「この写真のココに霊がいます」と診断する。
つまり自分の仕事ぶりをサンプルとして見せているのであるが・・・この霊能師の先生がもつ霊をみる視力は、おそらくオスマン・サンコンなみに良いのだろう。

下記の写真は、相談者からコメントとともに送られてきたもの。

《相談者のコメント》『右上にガイコツのような白いものがハッキリと写っています。これはカメラの故障などではないと思うのですが・・やはり霊的なものなのでしょうか?この霊は撮った人に悪影響など及ぼす可能性はあるのでしょうか?鑑定よろしくお願いします。』とのこと。

で、この偉い先生の鑑定結果がこちら。


いやいや・・・多すぎるやろ!!

《先生のコメント》『ガイコツの様に見えますが、実際は人の顔ではありません。(中略)その部分には「首をつった武士」、「歯だけ見えている霊」他にも女性・男性たくさんの霊が重なっていま す。念の強い霊体が集まると、この様な白い煙の様に見える場合があります。性別が確認できるものには「男」「女」顔の確認できるものには顔を書き入れまし た。まず言えることですが、「土地が悪い」という事です。撮影者の方が少し心配です。

そら、これだけゴッソリたむろされたら、まとめて「土地が悪い」というほかないだろう。
しかし、ご安心。「首をつった武士」も「歯だけ見えている霊」も、たった30,000円(会員なら20,000円。おトク感)でお引き取り願えます。

はい、次。

《相談者コメント》『とある仏教系の幼稚園で撮影されたものですが白い光の様なもの(※筆者註:これがオーブってヤツ)が沢山みえます何なのでしょうか?まわりにはお寺があるのが関係しているのでしょうか?

で、先生の鑑定結果がこちら。

だ、か、ら!

多すぎるねん!!

ギュンギュンやん!

園児より多いがな。

《先生のコメント》『まずこの幼稚園の土地が非常に悪いです。もともと戦場のようです。お墓のようなものもたくさん見えます。未成仏霊がたくさんおります。(中略)写真だけでも30〜40体います。本来であれば、土地祈祷、未成仏霊供養が必要なところです。

30〜40体・・・そこアバウト。
仏教系の幼稚園で未成仏霊てんこ盛りって、どーゆーこと?
コメントの文末には、さらりと除霊プラン(30,000円※会員なら20,000円)への誘導も忘れない。
商魂たくましき、偉い霊能師の先生。

・・・だいたい、除霊の『会員』ってなんやねん。そない何回も行くモンちゃうやん。

しかし、幼稚園の教室でさえ、「男(兵隊)」をはじめとするたくさんの霊が日頃から、これだけ大量にウヨウヨ浮遊していて、でも、園児たちは毎日お遊戯をしたり、お昼寝をしたりしている、と。

そうなると・・・・・逆に「霊がいて、いったい何がアカンのか?」という気さえしてくる。

ホコリは器官に悪いし、湿気はカビが生えるし、雨は濡れたら風邪をひくけども、霊はとくになにもない。

なにもないどころか、人間が起こす病気や事故、家族トラブルや身の不遇までも、その責任を関係ないのになすりつけられても文句のひとつも言わん、霊はむしろええヤツの部類ではないのか。

オレは霊視力が低くて良かった。
こんなもん、全部見えてたら毎日ジャマでしゃあない。

びませぬぞ

11月 11, 2010 · Posted in 日々雑記 · コメントは受け付けていません。 

「板垣死すとも・・・」とくれば、たいがいは「自由は死せず」と続けたくなるだろう。

それは、「巨泉の!」とくれば「クイズダービー」であり、「よろしく!」とくれば「メカドッグ!」と続けたくなるのと同種の、いわば連語的なフレーズとして反射的に出てくるほど日本人にとって馴染み深い言葉である。

「板垣死すとも自由は死せず」。

オレは板垣退助という人のことをほとんど知らない。とくに興味を持ったおぼえもないし、これからも大して興味を持たないだろうと思う。「退助」という名前が、なんかネガティブやな、と思う程度である。

しかしながら、この名フレーズはさすがに知っていて、その韻律のカッコ良さだけは、「巨泉の!クイズダービー」のように間の抜けたフレーズとは比べもんにならんぐらい、よくできているなぁと思っている。

死すとも」に対しての「死せず」。

かつ、その対語を差し引いて残った語は、「板垣」と「自由」である。

つまり、こんな短いフレーズの中で、「板垣=自由(の象徴)」という等号を見事に確立させ、なおかつその等号式を「死すとも/死せず」という、命を賭したスリリングさで修飾している。

見れば見るほどよく整理された、言葉のシーケンスではないか!

オレはアホなので、今日の今日までこの名言は板垣退助の今際の際に発せられた言葉だと勝手に思い込んでいた。なんか昔のお札の絵の人が、どっかで暴漢に刺され、最後にこの言葉を叫んで息絶えたと。

多少の美化はあるにせよ、板垣が自分の命と引き換えに遺したドラマチックな最後の言葉だからこそこの「板垣死すとも自由は死せず」は、後世に広く語り継がれたのだ、とオレは「漠然と」思っていたのだ。

このよくできたフレーズはどうやって生まれたのか、気になって調べてみた。
といっても、ただ、Wikipediaを見ただけであるが。

・・・あー・・・。

・・・見んかったら良かったー・・・。

・・・死んでない

・・・死んでないねんなー・・・。

板垣は45歳で暴漢に短刀で刺された時(岐阜事件)、この言葉を吐いたとされているが、命には特に別状はなく、約10日で職に復帰している。そしてのちに内閣を組閣するがダメダメで、内紛激しく4ヶ月で総辞職したり、宮武外骨の『滑稽新聞』に、「自由は死んだのに板垣は生きている」と、AERAばりのしょうもない風刺を書かれたりしている。板垣は伊藤博文・大隈重信とならんで風刺画に描かれることの多い明治の政治家BEST3に入るほどのイジられっぷりだったそうである。結局、この世を去ったのは82才であった。

82歳・・・。
きっちり、生きている。

それはめでたいことなのであるが、オレが勝手に死に際の言葉としてドラマチックに認識していた「板垣死すとも自由は死せず!」というよくできたフレーズは、板垣の人生において「けっこうなかば」での発言であった。

「板垣死すとも自由は死せず」から、実際に死すまでの、このタイムラグ。

その37年間、板垣自身はどう感じていたのだろう。

もしかすると、「オレ、あれ言うてからだいぶ生きてるなぁ・・・」と思った瞬間もあったのではないだろうか。人から半笑いでイジられて、「いや、マジで、カンベンしてください。あれは、ちゃうんですって。」と苦笑いする、そんな辛い場面もあったかもしれない。時には「いや、死すとも、て言うただけで、死ぬとは一言も言うてないですけどね」と、顔色一つ変えずに静かなる逆ギレがあったかもしれない。

とはいえ、自分が暴漢に殺されるかもしれない瞬間に、咄嗟に自分イズムを全開にして、「板垣死すとも自由は死せず!」と美しい韻律が口をついて出てくるなんて、それはそれでやっぱり並大抵の言葉センスではないと思う。

・・・え?

・・・あれ?

それも・・・言うてない

・・・言うてへんやん

なかなかのガッカリ感である。

暴漢に襲われつつ、あんなに構築された名フレーズを咄嗟に叫んだというのは、やはり現実的ではないのかもしれない。

「板垣死すとも自由は死せず」の真相にはいくつもの説があった。

中には、まわりに居合わせたヤツが言うたエエ言い回しを、本人が言うたかのように広めたという、ド恥ずかしい説も。

本人発言説の中で、今回オレが「最もガッカリした言い回し」は、1882年4月11日大阪朝日新聞に掲載された以下の言葉である。

まったく、ガッカリだ。

「板垣は死すとも自由は亡びませぬぞ」。

・・・語尾ッ!!

びませぬぞ・・・?

なんか・・・長がっ。

・・・語呂悪ッ。

びませぬぞ・・・て。

なんか・・・あかん。

※最近、このブログが告知専用みたいになっていたので、たまには関係ないことを書いてみようと思いました。AUTORAのライブ告知は「AUTORA.JP」へ。

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