なしのつぶて
なしのつぶて、が「梨のつぶて」だと知る。僕はてっきり「無しのつぶて」だと思っていた。なんとなく石ころ(つぶて)を投げて返ってこないイメージ。なぜに梨。なぜにあの瑞々しい梨が。
調べてみると、
■梨(なし)の礫(つぶて)
「投げた小石のように帰ってこない」の意。「梨」は「無し」にかけたもの。返事のないこと。たよりのないこと。
で、なんで梨やねん。なんでかけたんや。何がかかってんの?「無い」ことを「梨」にかけることでどう・・なん?もしかして「梨」の花言葉に何か関係が?調べてみると「梨」の花言葉は「博愛」「愛情」・・・なんやそれ。結局さっぱりわからん。何でもかんでも調べたら答えが出るものではないと実感。無尽蔵にみえるインターネットの情報データベースの中に、なぜ「無し」を「梨」にしたほうがおもしろいのかの答えは見あたりませんでした。調べて余計深みにハマることってあるもんです。もう明け方です。
だんだん「梨」という言葉そのものが楽しくなってきた頃、鳥取県に「鳥取二十世紀梨記念館」という、どう考えても赤字まるだしのハコモノがあることを知る。建物が立派すぎです。とにかく梨、梨、梨。まぁそらそやろけど。「梨をもっと知りたい」「二十世紀梨のルーツをアジアに探る壮大なストーリー」「ナシをテーマとした工作体験」「ナシの化石」「梨と世界の人々」「ナシのニューフェイス」「梨と遊ぶ不思議ガーデン」・・・など、縛りありすぎのゴリ押し企画満載。梨って一体なんだ。とにかく地球は巨大な梨のうえに乗っかってるのではないか、と思えるほどの梨中心主義。サイトを見てるうちにすっかり行きたくなってしまいました。梨。だからと言ってとくに食べたくはなりませんでした。梨。
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鳥取二十世紀梨記念館>http://www.pref.tottori.lg.jp/nashikinenkan/
金沢21世紀美術館はココと姉妹提携を結べばいいと思います。
ただ語感が似てるからです。
駒として/歩のテーマ
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人間椅子・人間魚雷とともに“日本3大人間”のひとつ、山形・天童市の人間将棋。豊臣秀吉が伏見城で小姓や腰元を将棋の駒に見立て、「将棋野試合」を行ったという故事にちなんでいるとのことで、僕が最近注目している「武将の調子に乗った感じ」を裏付ける素敵なイベント。何にしても「人間を〜に見立て」というのは、なにか少しだけ尊厳を奪われてる雰囲気が楽しいのだろうか。「駒として使われる」。これは社会において決していい意味で使われる言葉ではないが、この駒人間たちはどうやら地元の高校生がやらされている様子。メガネに甲冑という趣のある姿の高校生も。詰め襟の学生服でやったらなお楽しそうです。
プロ棋士による司令のもと、駒人間たちは駒と椅子とを持って指定のマスに移動し、また駒と椅子をそこに置いて座る。また、このイベントには飛車には飛車の、香車には香車の、そして歩には歩の、それぞれ太鼓によるテーマがあるそうで、駒人間が歩いて移動している間はトントコトントコと駒に応じたリズムを刻まれる。たまらん。歩人間のテーマが聴きたい。
ちなみに、イタリアでは「人間チェス」があるようで、こちらは人間以外に「馬」が盤上を歩き回るとのこと。すごい!こちらも楽しそうです。
馬が!!(イタリア・マロスティカ)
清々しい言葉
「ディズニーランドは遠すぎる」をスローガンに・・・。
著作権解放戦線(Kopyright Liberation Front)もここまできましたか。
しかも国営。
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【北京/中国 20日 AFP】
「ディズニーランドは遠すぎる」をスローガンにする中国国営のアミューズメント・パークがある。この北京石景山游来園(Shijingshan Amusement Park)では、園内のスタッフがディズニーのキャラクターである白雪姫と7人の小人たちに扮し、「シンデレラの城」や「マジック・キングダム」のレプリカを設置。ディズニーランドのイメージいっぱいだが、キャラクターを使用許可は一切、取っていない。中国の著作権侵害を端的に表す例として、米国政府は憤りをあらわにしている。
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・・・「キャラクターの使用許可は一切、取っていない」。
なんと清々しい言葉だろう。
うしろめたさゼロ!
だ・・・誰やねん。右のヤツ。
あぶないとこやで
A氏より電話。「当確・・出ましたね」。ドキっとした。まさか。「他のヤツに」。僕たちはホっと胸をなでおろした。ヒデのこれまでの出馬を見る時にこれほどヒヤヒヤしたことなど一度もない。というのもこの日「羽柴秀吉、善戦」「藤倉氏(夕張市出身・元ヨコハマタイヤ社長)が先行し、羽柴氏が猛追する展開」という目を疑うような記事を目にしたからである。猛追。そんな言葉ホンマにあんのか。ともかく実際、藤倉に当確が出た時点での、藤倉・ヒデ間の得票数はたった400票差であった。「危ないとこやで!」この言葉のニュアンスが関西圏以外の人にうまく伝わるだろうか。「あ〜危ないとこだった」ともちょっと違う。もう少し差し迫ったニュアンスです。秀吉善戦の記事には「羽柴氏は毎晩のように事務所の人間などと飲み食いに行ってカネを落とし、地元商店街はなびきつつある」とあった。しっかりせえよ夕張市民と思う反面、逼迫する夕張の現状を痛感。はっきりとカネを持って来た、夕張に縁もゆかりもない男に地元商店街はなびいてしまった。100億の私財を投げ打つと吹いた男に望みを託した。できもせん単純計算の大型企業誘致(1社2000人×5社)に光を見いだしてしまった。たとえその男がイオンド大学の名誉教授であっても。今回の得票数は大阪府知事選や東京都知事選の時のようなイチビリ票とは明らかに違う、リアルな票である。もう世間は彼のことを泡沫候補と括ることができないのではないか。又吉イエス(唯一ネ申)などとはまったく違う展開になってしまった。国内でも注目の選挙区、財政再建団体というシビアな状況の中、名乗りをあげた7人の候補者の中でトップとの僅差二位である。これがかつて甲冑を纏い、御堂筋を闊歩していた男であろうか。金粉をふりかけたメシを食らう男であろうか。選挙に落ちるたびに自宅でいい感じに不審火が起きて、保険金をせしめる男であろうか。私設軍隊をもち、自宅敷地内にミサイル基地を備える男であろうか。ともあれヒデの出馬歴で間違いなく一番の戦歴となってしまった。あぶないとこやで。
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ポスト・横山ノックを狙った時のステートメント。
私財を投じる、住民票を移すというのはこの時からのもの。
首振り
ブルガリア民謡を聴き続ける。
あかん、もう一回。
あかん、アホなる。
いや、もう一回だけ。
あかん、もうやめよ。
最後に一回だけ。
ちょっとディレイをかけて聴いてみよう。
ヤバ。
さらにフェイザーでぐるぐる回転させてみよう。
おお。
アホかオレは。
ちなみにブルガリアでは「はい」の意思表示として首を横に振り、
「いいえ」として首を縦に振る習慣があるそうで、
近年この首振りを国際標準に改めようという動きがある。
・・・首振りの国際標準があるとは知らなんだ。なんや首振りて。
ブルガリア ~神秘の歌声
4/19 UV@心斎橋STOMP
明日の夜、チルアウト・パーティ「UV」に出ます。
CDを再生するだけなのでいつもこっそり出るのですが。
たまには告知しときます。場所は心斎橋のSTOMP。
まるで格安船旅の四等船室のような雑魚寝イベント。
よく考えるに1500円で寝れると思えばカプセルホテルより安いですね。
僕は最近寝る前に聴いているCDを何枚かかける予定。
みなさんも寝る前にお立ち寄りください。出番は知りません。
とにかく寝る前です。
UV>>> http://www.solaris.vc/uv/
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2007.04.19.thu 21:00-05:00
club STOMP>>>http://www.club-stomp.com/
1,500yen/1drink
LIVE ACT:NASA/BETA MAX/tkd
DJ:DUNE/LoSHi(dada/metro)/NIGELA/KYOHEY(Low)/JUN TAKAYAMA(a.k.a.speedometer.)
VJ:BETA MAX
口内炎ぐらいイライラするもの
もう何年この精神的苦痛に悩まされているのだろう。人生における2大艱難辛苦とは「口内炎」と「輸入盤CDのシール」。まぁ、だいたいこの2つぐらいのもんです。そう、輸入盤CDのケース上部に貼ってある剥がしにくいあのシールです。そう、これを剥がさないとCDケースが開かないヤツです。このシールは誰が何のために開発したのか?誰の便利を考えて発案されたものなのか。ひょっとすると、0.1秒で剥ける、目から鱗の方法があるのだろうか?レコ屋の店員なら2秒とかからずにサッとゴミ箱に捨てられるのだろうか。伊藤家の食卓ではやってなかったんか。輸入盤CDのシールをサっと剥がせる裏技。僕は不幸にも、たいがいの包装や梱包の開け口に書かれている「ココ」という文字を、メチャクチャに開けてしまったあとで見つけるタイプの人間なのです。そんな人間がこのシールをスマートに剥がせるワケがないのです。たかだか中のCDを取り出すために15〜30秒ぐらいケースにカリカリと爪を立てておるのです。こんなアホらしい30秒など他にあるでしょうか。調子に乗って大量買いした時などは、帰宅後このシールはがしが途方もない作業に感じ、しばらくそのCDは聴かずにテーブルに積み上がったまま、という訳の分からない事態も発生する有様です。多少ザツではあるものの取り立てて不器用でもない、やったらできる子やと自負している僕にとってこの行為は、口内炎と同じ種類の「自己の力の及ばぬもどかしさ」を感じてしまうのです。誰か、輸入盤CDのケース上部に貼ってある剥がしにくいシールを「ストレスなく素早く剥がす方法」を教えてください。理想は5秒以内です。
※こんなヤツ
類化性能・別化性能
折口信夫のいう、類化性能・別化性能が気になる。
表層的にまったく違う物事を、ある要素を媒介に上手くルーティングすることで、
その本質的な共通点を見いだしたり(類化性能)、
また逆に、同質並列に扱われている物事の、決定的な違いを暴き出したり(別化性能)する能力は、
音楽やアートやお笑いにも深く通じると思う。
常日頃から、この二つの考え方を並行して物事を認識できれば、
世界は最小限にまとまる、と同時に、最大限に広がるのではないか。
その振れ幅が大きければ大きいほど、芸術の滑り込む隙間が少しでも広がるような気がする。
漠然候補、謎の本人
先週のこと。路上に立ち止まり、携帯電話で話していると、揃いのスタッフジャンパー(蛍光グリーンの)を着た5、6人の団体が自転車にノボリを立てて目の前を横切って行った。自転車で商店街やなんかを草の根的に回る、ありきたりな選挙活動だと思い、何気なくみてみると、
それぞれの自転車のノボリに大きく「本人」という文字だけがグリーンに白く染め抜かれている。
本人。10mほど離れた地点からはそれ以外に何も書かれていないように見える。もしかすると近くまで歩み寄れば、無所属新人だの大阪市政に若い力をだのといった文字もプリントされているのかも知れないが、この少し離れたところから確認できるのは巨大な極太ゴシックの「本人」という文字と、「よろしくおねがいしまーす!」「おねがいしゃーす!」という主語不在のドナリだけである。
なんと漠然とした候補者!
少し離れた通行人に分かることは、とにかく自転車に乗っている「誰か(もしくは全員)が、なにかの本人」であり、とにかく何かを「お願いしている」ということだけなのだ。名前も何もわからない。が、何かの本人が、何にせよ市民に何かをお願いして回っている。この訳の分からない状況にしばし携帯電話の相手の話にも「あ〜・・はいはい・・」と生返事になってしまった。何かの小サブいパフォーマンスなのだろうか。それとも本人と書いて「もとひと」とでも読むれっきとした候補者なのだろうか。とりあえず僕にできることは、5、6人の「本人たち」に「何かをお願いされっぱなし」でいることだけだ。
友人の話では別の地区で「候補者の嫁」と書かれた東急ハンズのパーティーグッズのようなタスキをかけている猛者もいると聞いた。今年の市長選は「続柄」を前面に押し出すのがトレンドだったのだろうか。なんやねんそれ。
さらに数日後。
細い道ですれちがった選挙の手伝いとおぼしきオバハン(スタッフジャンパーに白トレパンに鉢巻き)の自転車。そこにもおきまりのようにノボリが立っていたのだが、もはやこれに至っては「ただの黄色いプレーンな布」であった。無地。無印。意味が分からん。
だ・か・ら、誰やねん!
わけがわからなすぎる。
もしかするとこれらの体験は、選挙運動そのものにウンザリする自分が生み出した幻影なのだろうか。
たまたま選挙活動というものにまつわる、何らかの「エラー」を連続して目撃してしまっただけなのか。
なんか怖いです。本人。結局誰が当選したんやろ。何かの本人やろな。
老奇術師・宴のあと
地下鉄谷町線で向かいの席に座った老人が、さっきからずっと膝の上に置いたカバンの中で手をモソモソと動かしている。年の頃なら70近い、小ザッパリしたその老人は、少しイラついた様子で、カバンから手を出した。老人がカバンから取り出したのは、「どエラい固結びに結ばれた赤と黄色の手品用のシルクハンカチ」である。老人は唇を真一文字に結び、震えんばかりの力を指先に込め、カッチカチの結び目をほどこうとしている。
ひょっとして、この老人はついさっきまでどこかの市民イベントのようなところで、子供などを相手に自慢の手品を披露していたのではないか。昔からよくある二枚のハンカチを客に結ばせて、それをサラリとほどいて見せるネタだったのかも知れない。それをどっかの空気の読めん悪ガキが調子に乗って手をあげ、観衆の手前もあってか馬鹿力を発揮し、シルクの繊維も千切れんばかりにギリギリと固結びをカマしたのではないだろうか。その厳しい現場をジジイはどう切り抜けたのだろうか。
とにかく今ジジイは猛烈に困っている。二駅、三駅、四駅、とジジイは視線を一度も上げることなく、鬼の形相で固結びをほどこうとしている。五駅目ぐらいだっただろうか、ジジイは自分の降りる駅に着いた瞬間、さきほどとまったく状況が好転していない、つながったハンカチをくしゃくしゃと丸めて荒々しくカバンに押し込み、席を立って地下鉄を降りた。















