カバもいるだろう

3月 31, 2007 · Posted in 日々雑記 

何気なくつけっぱなしで見ていたNHKの「俳句王国」。
「卒業」というテーマで投句されたものからの十選を披講するというもの。
「校庭の犬に餌やり卒業す」「十を知り九つ忘れて卒業す」「先生の白きえりあし卒業す」「臥す母に卒業証書拡げ見せ」など、おーいお茶の缶にプリントされたものよりはもう少し踏み込んだぐらいの俳句好きによる作品が紹介されており、「校庭の犬に餌やり卒業す」などは吉田戦車の「エハイク」を思わせる風情の秀句だなどと思いつつ聞き流していると、もっともらしく詠まれた次の句が僕の思考を止めた。
卒業の一団河馬もいるだろう
そつぎょうのいちだん かばも いるだろう
祖父が俳人でもあったことから、僕自身、僅かながら俳句には親近感を以て接してきたつもりである。俳句とは受け手において、その短いフレーズを耳でリズミカルに感じ、同時に頭の中で文字をコロコロと転がして意味を咀嚼したり余情に思いを馳せたりする言葉遊びであると思う。「卒業の一団河馬もいるだろう」。この句を受けて「あ、なるほどね」と、さらりと咀嚼できる、または右から左へ受け流すことができる人などいるのだろうか。
番組ではこれら選ばれた句にひとつひとつ専門家とおぼしき人たち(新進気鋭の歌人らしい女性とか大家らしい老人など数名)が寸評をくわえていくのだが、僕が見る限り、この問題の句に対する寸評は他の句に比べてかなり曖昧であった。「うーん・・・まぁ・・卒業式なんかで・・・まぁ河馬が・・・いても・・」「そ・・・そうですよね。いてもいいじゃないかって感じですよね」と言ったっきり、あとはほぼ「ふーむ」「フフフ」と自信なげなごまかし笑いが数秒続くという有様で、まちがってボツハガキを読んでしまったのではないかという空気さえあった。僕がなにか嫌な感じがしたのは「俳句の自由性」や「シュールへの理解」などを後ろ盾にしたおおらかな気持ち、に対する嘘くささだったのかもしれない。核心に触れることなく「アリですよね」とボンヤリ反応してみたものの「具体的にはどこがアリなんですか?」とたずねられると狼狽えて、ごまかしとる気がしてならない。
卒業の一団河馬もいるだろう
そつぎょうのいちだん かばも いるだろう
僕はこの句が頭の中を回り続けている。
人間は頭の中に「?」がひとつでもある時、無意識で延々と考え続ける習性がある。有意識で「もう考えるのはやめよう」と思ったり、ただ単に忘れてしまったとしても、脳は無意識の領域において延々と答えを検索し続けるようにできているらしい。脳の中に「?」が増えれば増えるほど、無意識の検索システムはキャンセルすることなく作動し続け、結果、脳は疲れるのである。
この問題の句の意味そのものよりもむしろ、なぜこの句がお昼の国営放送の俳句番組で秀句として選ばれ、なんのためらいもなくオンエアされたのか、「俳句の自由性」や「シュール」という言葉”以外で”説明していただきたい。なんでカバやねん。いるだろう、て誰目線やねん。「?」だらけである。

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